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    村上茉愛、母の前で金メダル 徹夜で作ってくれた横断幕を力に恩返し 17年以来の女王で有終の美


    村上茉愛、母の前で金メダル 徹夜で作ってくれた横断幕を力に恩返し 17年以来の女王で有終の美
    …◆体操 ▽世界選手権 最終日(24日、北九州市立総合体育館)  東京五輪銅メダルの村上茉愛(まい、25)=日体ク=が現役引退を表明した。種目別決勝の…
    (出典:スポーツ報知)


    村上 茉愛(むらかみ まい、1996年8月5日 - )は、日本の体操競技選手。 神奈川県相模原市生まれ。血液型O型。 3歳の時に母親に勧められて体操を始める。 池谷幸雄が主宰する池谷幸雄体操倶楽部に小学校時代から所属し、数々のジュニア競技会に出場した。同倶楽部で練習に取り組む様子が、テレビ番組『ももクロ式見学ガイド
    14キロバイト (1,547 語) - 2021年9月15日 (水) 23:44


    ◆体操 ▽世界選手権 最終日(24日、北九州市立総合体育館)

     東京五輪銅メダルの村上茉愛(まい、25)=日体ク=が現役引退を表明した。種目別決勝の女子床運動で14・066点をマークし、17年大会以来の金メダルを獲得。「引退します。良い形で終えることができた」と有終の美を飾った。女子平均台では芦川うらら(18)=静岡新聞SBS=が金メダル、村上も銅をつかんだ。

     苦しいことの方が多かった体操人生。戦い抜いた村上に待っていたのは最高の景色だった。「最後」と覚悟を決めて臨んだ舞台で、17年モントリオール大会以来の世界女王に返り咲き。光り輝く金メダルを胸に、表彰台の真ん中に立った。「すごくいい形で競技を終えることができた。金メダルがついてきてくれたのは自分への最高のご褒美」と晴れやかに終止符を打った。

     ラスト90秒間に全てをぶつけた。代名詞「シリバス」を成功し、観客の手拍子に合わせキレキレのダンス。着地までまとめ、大きな拍手が村上の全身を包んだ。深々とフロアに一礼。瀬尾京子監督の目にも涙が浮かび、ハグをした。演技後は13・966点で2位だったが、採点の問い合わせでDスコア(難度点)が0・1点アップし“逆転”。「やってきたことは間違いなかった。もう一度演技したいとは思わないが、すごくいい時間だった」

     どうしても最後の姿を見てほしい人がいた。母・英子さんだ。五輪を本気で目指す村上を支えるため、働きながら通信教育で資格を取り、美容室を経営。思う存分競技ができるよう支援してくれた。体操をやめたくなった時には寄り添ってくれ、試合前のルーチンとする髪のカットもしてくれていた。最後の舞台も弾丸で北九州へ。「茉愛」の横断幕を徹夜で作り、掲げてくれた。大好きな母に最高の形で恩返しした。

     小6でH難度「シリバス」を決め「天才少女」と注目を浴びたが、その後は試練の連続。19年NHK杯は腰痛で棄権し、世界選手権代表入りはならず「みんなの体操を見たくない」とまで思った。五輪でも肘を負傷し、激痛に涙した。今大会前にも左足首を負傷したが、持てる力の全てをフロアに置いてきた。世界体操と五輪でメダル6個。ただ、団体でメダルがなかったことが心残りで「お手伝いできたら」と今後は後輩の指導にあたる方針。日本女子体操界に数々の歴史を刻んだエースは、戦いの舞台に終わりを告げた。(小林 玲花)

    報知新聞社

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    高卒1年目で最多勝、日米通算170勝、WBCで2度MVP… 松坂大輔の輝かしすぎる足跡


    高卒1年目で最多勝、日米通算170勝、WBCで2度MVP… 松坂大輔の輝かしすぎる足跡
    …西武入団後の8年間で108勝、最多勝3度、最優秀防御率2度、最多奪三振4度 西武・松坂大輔投手が23年間に及んだ現役生活に終止符を打つ。引退試合とな…
    (出典:Full-Count)


    松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、東京都江東区出身(出生地は青森県青森市)のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 西武時代は「平成の怪物」と呼ばれ、21世紀初の沢村栄治賞を受賞。パ・リーグ投手最多記録となるゴールデングラブ賞も7回受賞している。20
    135キロバイト (17,762 語) - 2021年10月18日 (月) 08:23


    西武入団後の8年間で108勝、最多勝3度、最優秀防御率2度、最多奪三振4度

    西武・松坂大輔投手が23年間に及んだ現役生活に終止符を打つ。引退試合となる19日の日本ハム戦(メットライフ)に先発登板し、最後の雄姿をファンに見せる。絶対的エースとして横浜高を1998年の春夏甲子園連覇に導いた右腕は、日米通算170勝(NPB114勝、MLBで56勝)を挙げた他、日の丸のユニホームを背負っても大活躍した。「平成の怪物」のプロ野球生活を振り返る。

    1998年ドラフト会議で西武、日本ハム、横浜(現DeNA)が1位入札。抽選で交渉権を得た西武に入団した松坂は背番号「18」を着けて1年目から大活躍した。1999年4月7日の日本ハム戦でデビューし、いきなり勝利投手に。片岡篤史を155キロの高め速球で空振り三振に仕留めたシーンは野球ファンの度肝を抜いた。

     同年に16勝を挙げて最多勝利に輝き、新人王も受賞。2000年は14勝、2001年は15勝をマークして入団から3年連続最多勝利を手にし、名実ともにリーグを代表する投手になった。更に最優秀防御率を2度(2003、04年)、最多奪三振のタイトルを4度(2000、01、03、05年)手にした他、ベストナインを3度、ゴールデングラブ賞を7度受賞。在籍8年で108勝を挙げ、2006年オフにポスティングシステムを利用して譲渡金5111万1111ドル11セント(約58億円)、6年総額5200万ドル(約59億円)でレッドソックスに移籍した。

    レッドソックスで世界一に、トミー・ジョン手術を経て2018年にカムバック賞
     移籍1年目の2007年は15勝を挙げてチームはワールドシリーズを制覇。翌2008年には自己最多の18勝を挙げた。しかし2009年以降は故障に苦しみ2011年には右肘のトミー・ジョン手術を受け、2013~14年はメッツでプレー。メジャー成績は計8年間で56勝43敗1セーブ、防御率4.45だった。

     2015年にソフトバンクと3年契約を結びNPBに復帰。3年間で1軍登板は1試合のみだったが、中日に加入した2018年に6勝を挙げてカムバック賞を受賞した。翌2019年は2試合登板に終わると昨年、古巣・西武に復帰。しかし故障により1度も登板機会がなく今年7月7日に今季限りでの現役引退を発表した。

     松坂は日本代表としても活躍した。五輪は2000年シドニー大会と、2004年アテネ大会に出場。アテネ大会では銅メダルを獲得した。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)には優勝した2006年第1回、2009年第2回大会に出場。両大会ともMVPを受賞している。

    Full-Count編集部

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    日本、W杯へ大ピンチ…サウジアラビア相手に0-1で敗北


    られる。近年はその風潮も和らいではいるものの、90年代まではFIFAワールドカップアジア予選開催地に中東のスタジアムを選ぶ(1994年アメリカ大会アジア予選までは集中開催方式が中心だった)など、中東・湾岸諸国が有利になるような大会運営が散見された。また前述の通りAFCは統括範囲が広範囲に及ぶため、ホ
    58キロバイト (5,643 語) - 2021年8月31日 (火) 01:27


    サッカーの2022年ワールドカップ(W杯)カタール大会アジア最終予選は7日、各地であり、B組の日本(世界ランキング26位)はサウジアラビア(同56位)と敵地のジッダで対戦し、0―1で敗れた。7大会連続出場を狙う日本は1勝2敗となり、厳しい状況になった。

     日本は前半、FW大迫勇也が決定機などがあったが、相手GKの好セーブで得点できなかった。後半、MF柴崎岳のバックパスを奪われ、逆襲から失点した。

     アジア最終予選は12チームが2組に分かれてホーム・アンド・アウェー方式で来年3月まで争う。各組上位2チームがW杯出場権を獲得し、3位同士の勝者が、大陸間プレーオフに回る。

     日本は12日に埼玉スタジアムでオーストラリア(同32位)と第4戦を行う。

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    【MLB】投手・大谷翔平は今季終了 103年ぶり大偉業ならずも指揮官「投げないのが最善」


    バドミントン選手の母を持つ、スポーツマンの両親の家に、三人兄弟の末っ子として生まれる。翔平という名前は、父が地元の奥州平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「」の字を用い、平泉から「」を取って名付けられた。 奥州市立姉体小学校3年時に水沢リトルリーグで野球を始め、全国
    195キロバイト (27,766 語) - 2021年9月29日 (水) 16:26


    9勝止まりで「2桁勝利&2桁本塁打」は来季以降に、マドン監督「打者に専念を」

    エンゼルスの大谷翔平投手は、10月3日(日本時間4日)に敵地で行われるマリナーズとの今季最終戦に先発せず、投手としては今季を終えることになった。ジョー・マドン監督が29日(同30日)の試合前会見で「彼は日曜日(3日)に投げない。残りシーズンは投球のことはもう気にせず、打撃に専念してもらいたい」と明らかにした。

    投打同時出場した26日(同27日)の本拠地・マリナーズ戦では7回10奪三振5安打1失点と好投。しかし打線の援護はなく、シーズン10勝目は3度目の持ち越しとなっていた。両リーグでは1918年ベーブ・ルース以来103年ぶりの同一シーズン2桁勝利&2桁本塁打の期待がかかる中、中6日を空けて最終戦での登板も予想されていたが、マウンドには上がらないことになった。

     指揮官は、大谷との話し合いで決めたことを明かし「今がシャットダウンするのに適したときだと感じているとのことだったから、そうすることにした。全く複雑なことじゃない」と強調。この日を含めて今季は残り5試合となる中、「打者・大谷」に注力することを選択。「彼は最後の2登板で非常に力強い投球をし、これ以上得るものはない。だから、投げないのが最善のことかなと思う。ただ、もう1度言うが、これは彼と会話の上で決めたことだ」と言い切った。

    Full-Count編集部

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    白鵬が引退へ 右膝限界…史上最多45度V 数々の最多記録を打ち立てた最強横綱が20年の力士生活に別れ


    白鵬が引退へ 右膝限界…史上最多45度V 数々の最多記録を打ち立てた最強横綱が20年の力士生活に別れ
     大相撲の第69代横綱・白鵬(36)=宮城野=が現役を引退する方向であることが26日、分かった。進退を懸けて出場した7月の名古屋場所では、最多を更新…
    (出典:スポーツ報知)


    元大関・琴欧洲には白鵬の35勝10敗。白鵬の横綱昇進後は白鵬の25勝6敗。 元大関・琴光喜には白鵬の23勝9敗(不戦勝1含む)。白鵬の横綱昇進後は白鵬の13勝4敗(不戦勝1含む)。 元大関・把瑠都には白鵬の25勝3敗。白鵬の大関在位中は白鵬の3戦全勝。白鵬の横綱昇進後は白鵬の22勝3敗。 元大関・琴奨菊には白鵬
    289キロバイト (47,122 語) - 2021年9月26日 (日) 22:26


    大相撲の第69代横綱・白鵬(36)=宮城野=が現役を引退する方向であることが26日、分かった。進退を懸けて出場した7月の名古屋場所では、最多を更新する45回目の優勝を16回目の全勝で飾った。しかし、右膝の状態が思わしくなく、土俵を去ることになった。優勝回数、横綱在位84場所、通算1187勝、幕内1093勝など数々の最多記録を打ち立てた大横綱が、約20年の力士生活に別れを告げる。

    最強横綱が現役生活にピリオドを打つ方向となった。白鵬は、所属する宮城野部屋に新型コロナウイルス感染者が出た影響で秋場所を全休したが、場所後にも最終的な話し合いや手続きなどが進められるもようだ。

     数々の激闘で肉体の至るところが限界に近づいていた。特に今年春場所の途中休場の原因になった右膝は思わしくない状態だった。名古屋場所では、当時大関の照ノ富士との千秋楽全勝対決を制し、V45を決めた。優勝インタビューで自ら「右膝がもうボロボロで、言うことを聞かなかった」と語るほどだった。

     一方で「横綱としてこれで899勝。あと1勝で900勝なので、1勝目指して頑張っていきたい」と今後への意欲も示していた。ただ8月下旬の合同稽古は参加こそしたが、胸を出すだけにとどまった。右膝については「日によりますね。良くなったり悪くなったり」と話すなど、劇的な改善には至らなかった。

     白鵬は角界入りを夢見て2000年10月に来日。大阪にあるアマチュア相撲の名門・摂津倉庫で稽古しながら大相撲から声がかかるのを待った。父・ムンフバトさんはモンゴル相撲の大横綱で同国初の五輪メダリストの英雄。ただ白鵬は当時175センチ、68キロと細い15歳の少年。仲間が次々とスカウトされる中、全く声がかからなかった。同年12月、角界の道を諦め、帰りの航空券も購入。だが帰国する前夜、モンゴル力士のパイオニア・旭鷲山の紹介で突然、宮城野部屋への入門が決まった。

     猛稽古に耐え、次第に頭角を現した。01年春場所で初土俵。04年初場所で新十両。同年夏場所に新入幕。06年春場所後には昭和以降4位の21歳0か月の若さで大関昇進。07年夏場所後には、22歳2か月の史上3位の年少記録で横綱になった。

     10年春~11年技量審査場所まで史上最多タイの7連覇。10年には史上2位タイの63連勝も記録した。最強の名をほしいままにしたが、近年はけがが目立ち、休場も増えた。その状況に昨年11月場所後には横綱審議委員会が「引退勧告」に次ぐ重さの「注意」を決議。かち上げなどの取り口や土俵態度で物議を醸すこともあった。ただ数々の記録で大相撲の歴史に名を残した。

     ◆白鵬 翔(はくほう・しょう)本名同じ。1985年3月11日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。36歳。2001年春、宮城野部屋から初土俵。04年初、新十両。同年夏、新入幕。07年夏場所後に第69代横綱昇進。10年に史上2位タイの63連勝。同年春から11年技量審査場所(八百長問題による夏場所の代替開催)にかけ、史上最多タイの7連覇。19年9月に日本国籍を取得した。得意は右四つ、寄り。192センチ、155キロ。

    報知新聞社

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