アラフィフ生活のblog

今、話題のニュースや芸能、旅行、海外情報
今からでもできるボディメイク、美容、など
まとめています。

    カテゴリ:芸能関係 > アイドル


    「恋愛禁止ルール」に司法判断 AKB48岡田奈々で話題になったばかり…


    岡田 奈々(おかだ なな、1997年〈平成9年〉11月7日 - )は、日本のアイドル、歌手、YouTuberであり、女性アイドルグループ・AKB48のメンバーである。愛称は、なぁちゃん。神奈川県出身。エイベックス・アスナロ・カンパニー所属。 1997年 大阪府寝屋川市で生まれ、3歳ごろまで住んでいた。…
    66キロバイト (8,663 語) - 2022年11月27日 (日) 07:54


    男女交際を禁ずる校則に反したとの理由で自主退学を勧告されたのは不当だとして、私立堀越高校(東京都中野区)の元生徒の女性が、同校を運営する学校法人「堀越学園」に約704万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁(村田一広裁判長)は11月30日、97万円余りの賠償を命じる判決を言い渡した。

    判決は元生徒への自主退学勧告について「退学を事実上強制するもので、教育上の裁量を超え違法だ」と指摘した。もっとも男女交際を禁止する校則自体は有効と判断し、「学校の教育理念や方針を考慮すれば、男女交際の禁止によって生徒を学業に専念させるものとして、社会通念に照らして合理的なものだ」とした。

    交際禁止は憲法の幸福追求権に反しそうに思えるが、今回の判決で、校則は有効であるものの、それを理由に強制的に退学させるのは違法という結果が出たわけだ。法曹関係者は「私立学校は、私人の寄附財産等によって設立され、独自の校則を作り、教育活動を行っています。男女交際をしたいなら、それがOKな校則の学校を選べばいいというわけでしょう。ただ、強制退学は違法ということです」と指摘した。

    一方で私立高校に子供を通わせていた男性は「校則に反した生徒を退学させるのは教育の放棄だ。退学させるのではなく、校則を守るように指導すべき。それができないなら、校則自体が間違っていると学校自体が認めるようなもの」と退学の前に指導の必要性を語った。

    似たような話題といえば、つい先日もAKB48の岡田奈々が熱愛報道を受けてグループ卒業を発表したことがニュースになったばかり。結局、アイドルの恋愛禁止問題のように、バレないようにうまくやれということに尽きるのかもしれない。

    【「恋愛禁止ルール」に司法判断 AKB48岡田奈々で話題になったばかり… #岡田奈々】の続きを読む


    SixTONES・松村北斗の発言に物議! コロナ感染の高地優吾を「やわな野郎」田中樹も必死のフォロー


    SixTONES・松村北斗の発言に物議! コロナ感染の高地優吾を「やわな野郎」田中樹も必死のフォロー
    …「やわな野郎だね」  SixTONESの松村北斗(27)が新型コロナウイルスに罹患したメンバーをイジった際の失言だ。
    (出典:週刊女性PRIME)


    松村 北斗(まつむら ほくと、1995年〈平成7年〉6月18日 - )は、日本のアイドル、俳優であり、男性アイドルグループ・ SixTONESのメンバーである。 静岡県島田市出身。ジャニーズ事務所所属。 2009年2月15日、山下智久に憧れジャニーズ事務所に入所。オーディション翌日「この世界はサプ
    93キロバイト (12,033 語) - 2022年9月5日 (月) 21:16


    「やわな野郎だね」

     SixTONESの松村北斗(27)が新型コロナウイルスに罹患したメンバーをイジった際の失言だ。

    SixTONES・松村北斗、ラジオで失言しファン離れ
     松村は9月3日、ラジオ『SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル』(ニッポン放送)に、同グループの田中樹(27)と生出演。番組冒頭、同メンバーの高地優吾(28)がコロナウイルスに感染したため療養中であることを田中が報告した。その際、松村が高地について「やわな野郎だね」と発言し、ファンから非難の声が飛び交う事態となった。

     SixTONESでは、今年2月にジェシー(26)、森本慎太郎(25)、田中の3人がコロナに感染し、ライブを延期した経緯があるだけに、田中は終始、高地を気遣いフォロー。

    「まあ、でも俺も1回、今年の始めのほうになって、ライブが延期になっちゃうみたいなこともあった」と理解を示した。

     高地が出演予定だった中村芝翫主演舞台の『夏の夜の夢』は、9月6日公演で初日を迎えるはずだったが、公演関係者に新型コロナウイルス感染症の陽性反応が確認されたとして、中止が発表されたばかり。

     高地がコロナ陽性と発覚する前には、SixTONESの6人での仕事も予定されていたが、こちらも延期になったようだ。

     ラジオ内で松村は「(仕事関係者に)あんまり心配させたくないから。“高地がストライキしちゃってすいません”で押し切っといたよ」と関係者へ説明したと報告した。

    「コロナに罹患した経験のある田中さんは、舞台を控えていた高地さんに“たぶん疲れとかもいろいろあったのかな”と慮ったり、松村さんの高地さんに対する“ストライキ”という表現についても“よくないフォロー”“やむを得なかったわけだからね”と諭していました。

     松村さんも“忙しかったのかな”“もうなんとも言えないよね。こればっかりは”と理解は示していましたが、選んだ言葉があまりいい表現ではありませんでしたね」(スポーツ誌記者)

     このやりとりに対し、ファンからも松村の「やわな野郎」「ストライキ」といった表現に批判の声があがり、炎上騒動となっている。Twitter上では、

    《コロナ感染した人に“やわな野郎”とか、療養中なのに“ストライキ”とか、さすがにドン引き》

    《コロナ感染した仲間の事をやわな野郎と生放送ラジオで言う松村北斗と言う人が理解できない》

    《友達がコロナで熱も出てかなりツラかったって話聞いたばかりだったから、コロナに罹った高地くんに対して“やわな野郎”ってのはちょっと……》

     と辛らつな意見があがっている。



    苦労時代があった松村だけに
     松村はジャニーズ事務所へ2009年に入所し、同年に『中山優馬 w/B.I.Shadow』というユニットでCDデビュー(メンバーは中山優馬、中島健人、菊池風磨、松村北斗、高地優吾)。

     しかし、同じメンバーだった中島健人(28)と菊池風磨(27)が'11年にSexy Zoneでデビューすると、同グループは事実上の解散。

     その後、松村は一時仕事が全くない時代を経るも、本人の努力もあって、2012年連続ドラマ『私立バカレア高校』(日本テレビ系)を皮切りに、ドラマや舞台に立て続けに出演し、演技力で高い評価を得るようになった。

     '15年には現在と同じメンバーでSixTONESも結成され、ジャニーズJr.として高い人気を獲得。後輩グループが先にデビューするなど受難の日々が続くも、腐ることなくライブパフォーマンスや演技、バラエティ番組での立ち回りを磨き、'20年にようやくSixTONESとしてCDデビューを果たした。

     以降は2021年の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』(NHK)での雉真稔役で「稔さん」ブームを巻き起こすなど、グループ活動と並行して俳優業も絶好調だ。

     苦労した時代があっただけに、誤解されるような発言を繰り返し、松村のファン離れが続出しているのは、残念と言わざるを得ない。

     さらに、ジャニーズはコロナ禍で数々のイベントやライブを中止してきた背景がある。Kis-My-Ft2の千賀健永(31)は2度のコロナ感染で嗅覚障害など数か月に渡る後遺症も患い、「もしかしたら死ぬまで治らないかもしれない」と不安を吐露。「誰かの命を奪う危険性があることをいま一度、認識してほしい」と若者への注意喚起もしていた。それだけにコロナに対する軽率な発言にファンは心を痛めているようだ。

     今回の松村の失言は、映像のないラジオというだけに、番組を盛り上げるためのリップサービスだったのかもしれない。これまでも、際どい発言や下ネタなども織り混ぜ、サービス精神旺盛にラジオに取り組んでいた。

     発言が過激になりがちなラジオでのトークだったとはいえ、もう少し慎重になるべきだったかもしれない。




    【SixTONES・松村北斗の発言に物議! コロナ感染の高地優吾を「やわな野郎」田中樹も必死のフォロー #SixTONES #松村北斗】の続きを読む


    ピンク・レディーが駆けた4年7カ月 稼いだ500億円は闇へ、衝撃の紅白辞退、全米進出の賭け


    ピンク・レディーが駆けた4年7カ月 稼いだ500億円は闇へ、衝撃の紅白辞退、全米進出の賭け
    …【シリーズ「光と影のアイドル群像」】  駆け抜けた4年7カ月はピンク・レディーにとって何だったのだろう。国民的アイドルの輝かしい栄光の裏側で、稼ぎ出…
    (出典:日刊ゲンダイDIGITAL)


    ピンクレディー (Pink Lady) は、1970年代後半から1980年代初頭にかけて活躍したデュオのダンス・ミュージック系アイドル。ミー(現:未唯mie)とケイ(現:増田恵子)の2人組。 多くの楽曲を阿久悠(作詞)・都倉俊一(作曲)のコンビが手がけた。所属事務所はT&C
    66キロバイト (9,523 語) - 2022年9月4日 (日) 13:41


    【シリーズ「光と影のアイドル群像」】

     駆け抜けた4年7カ月はピンク・レディーにとって何だったのだろう。国民的アイドルの輝かしい栄光の裏側で、稼ぎ出した巨額マネーはアッという間に闇に消えていった……。

    ミー(根本美鶴代、現・未唯mie)とケイ(増田恵子)。ピンク・レディーを28回にわたって日刊ゲンダイで連載したのは2010年のこと。デビューから35年目。5度目の再結成とアルバム「INNOVATION」発売に合わせ、35年を振り返ってもらう企画だった。

     2人は超多忙だった年月をこう振り返った。

    「(移動は)車じゃ間に合わないから衣装の上に洋服を羽織ったまま、車を乗り捨て地下鉄で移動した」

    「忙しくてコンサート会場からテレビ局までヘリコプターで移動した」

    「車から楽屋までの間に5件の取材が入っている状況が普通にありましたね。歩きながら質問に答えて、途中でちょっと立ち止まって1、2分で写真撮影。それが終わるともうすぐ次の取材」

     睡眠時間は1日3時間ならいい方、時には1時間の仮眠しか取れない超過密スケジュールをこなす日々だった。

     2人がスター街道を突っ走る中で、転がり込むマネーも巨額になった。「ペッパー警部」から「UFO」「サウスポー」と、次々にミリオンセラーを記録するレコードの売り上げ、コンサートやグッズの収入……。もっとも、寝る間もない2人にはお金のことを考える余裕もなかった。

     ピンク・レディーが1976年から81年にかけて稼ぎ出したマネーは350億円とも500億円ともいわれた。そのお金はいったい、どこに消えてしまったのか。

     裏方でピンク・レディーを動かした対照的な2人のキーマンがいる。

    事務所に恵まれなかったナゾ

    ピンク・レディーは76年、日本テレビ系「スター誕生!」で見いだされた。この時、スカウトしたのは、吉田拓郎と結婚する前の浅田美代子らを抱え、芸能プロをやっていた相馬一比古。2人のために76年に設立された「T&Cミュージック」のプロデューサーとして辣腕をふるった。

     もう一人は「T&C」社長で経営面を仕切った貫泰夫。貫は大物総会屋、小川薫の中学の同窓だった。東京で証券会社に勤めてから再会したのが縁で、小川の出資などで「T&C」を設立し、借金を抱えていた相馬の芸能プロごと吸収して相馬とともにピンク・レディーを世に送り出した人物だった。

     相馬は「スタ誕」でスカウトした時のことを月刊誌でこう振り返った。

    「これなら、いけそうだという予感を持って『スタ誕』の決戦大会に、私は出かけていったんですね。イチかバチか、あたってくだけろ、といった気持ちでした」

     この時、人気だったのは14社のスカウトの目に留まった清水由貴子だった。2人組に興味を持ったのは8社。中でも熱心だった相馬とビクターの担当だった飯田久彦に出会ったことが2人の運命を変えた。

     一方、貫は音楽業界特有の金銭感覚に翻弄され、ピンク・レディーの大フィーバーの陰で経営は火の車になっていく。当時をこう振り返っている。

    「世間では500億円儲けたとかいわれますが、実際にT&Cに入ったのは50億円くらい。それも制作費やなんだかんだで出て行って、ぜんぶ消えてしまった……もう口座が維持できなくなってパンクしてやめたということです」(「週刊大衆」83年5月23日号)

     寝る間も惜しんで稼ぎまくったピンク・レディーの2人。では満足に給料をもらっていたのだろうか。

    「天国と地獄」の始まりになった紅白辞退

     人気絶頂から、わずか4年7カ月で解散したピンク・レディー。舞台裏で一体何が起きていたのか。

    「スター誕生!」で見いだされたピンク・レディーのデビュー曲は1976年8月の「ペッパー警部」。当初オリコンチャート100位にも入らなかったが、超ミニでガニ股になる斬新な踊りで「新宿音楽祭」を境に人気に火がつく。11月発売の第2弾「S・O・S」は一気にチャート1位。と同時に「ペッパー警部」も3位まで上昇し、2人はテレビの音楽番組を独占していく。

     売り上げベスト5を挙げると①「UFO」(156万枚)②「サウスポー」(146万枚)③「ウォンテッド」(120万枚)④「モンスター」(110万枚)⑤「渚のシンドバッド」(100万枚)。2人が稼ぎ出したのは500億円ともいわれた。

     初任給は5万円。それが80年ごろには月給350万円に。所属事務所「T&C」の社長だった貫泰夫は「20歳の娘に350万円の月給を出し、5000万円のマンションを買い与えた」と語っている。

     それでも莫大な金額が残って当然だが、事務所は経営難に陥る。お金はどこへ消えたのか。

     ピンク・レディーは78年に「UFO」で「日本レコード大賞」を受賞する。この年に争ったのは山口百恵、沢田研二らそうそうたるメンバー。その中でも、日本中を席巻していたピンク・レディーが受賞するのは自然ではあったが、当時、レコ大は審査員への過剰接待が公然の秘密。

     事務所社長の貫は「ゴルフに誘い、酒の好きな審査員は銀座のクラブなどに招待」と語り、さらにロスで仕事のピンク・レディーの取材旅行と称して、関係者7人をアメリカに連れていった。それは一端にすぎず、やはり賞取りや人気維持のためにお金をジャブジャブ使っていたようだ。

     事務所専務で音楽プロデューサーの相馬一比古は「儲けた分はプロモートで還元しちゃいました」と語っている。本当にそれだけだったのかは不明、今となっては真相はわからない。

    ■紅白辞退で大きな批判を浴び人気に陰りが…

     ピンク・レディーにとっての大きな転機はその年の暮れ。レコ大を受賞した歌手は直後にNHKの「紅白歌合戦」出場のため渋谷に移動するのが普通だ。ところが2人は11月に紅白出場辞退の会見を開き、レコ大受賞後は新宿・コマ劇場に移動した。日本テレビの特番に出演するためだった。

     この紅白軽視の選択が大きな批判を浴び、人気に陰りが出る始まりとなる。つまり78年12月31日、ピンク・レディーは天国と地獄を味わったのだ。

     12年前、日刊ゲンダイがピンク・レディーを連載した際、本人たちは紅白を辞退したことについてほとんど語っていない。それくらい今も後悔する出来事だったのではないか。

     なぜ紅白辞退の選択をしたのか? 社長の貫は「事情が違うが、美空ひばりだって出場しなかったじゃないですか……NHKのレコード産業に対する考え方が嫌いでね……パッと民放でやれって」と月刊誌で吐露した。

     新興の怖いもの知らずの事務所が、高慢なNHKに盾突いて、金になる民放を選んだという構図だろうか。

     事務所の賭けはそれだけではなかった。翌年には全米進出という野望に挑戦する。一定の成果はあったし、ケイが「アメリカンドリームってこういうことなんだ」と喜んだが、日本国内では思うほど話題にならず、2人はただ疲弊していく。そこにケイの恋愛が重なる。

    「相手が同じ仕事をしている人だったこともあって事務所から驚くほど圧力がかかってきました……NBCの仕事が終わる頃でしょうか。精神的にもボロボロになって、もう限界でした」

     こうして、81年3月31日、後楽園球場での解散コンサートへと向かうのである。

    2人を独断でスカウトした飯田久彦の慧眼

     ミー(未唯mie)とケイ(増田恵子)のピンク・レディー。2人は中学2年の時にケイが静岡・末広中学に転校して運命的に出会った。

     お互いの第一印象は、ケイは他の中学生がおかっぱだった中で一人だけマッシュルームカットにしているおませな女の子、ミーは逆光で髪の毛がキラキラ光っている童話から飛び出してきたような女の子だった。2人は演劇部に所属し、将来を語り合うようになり、中3の冬に静岡で行われた「スター誕生!」のオーディションに応募している。この時に本選で優勝したのは藤正樹だった。

     その後、2人はヤマハのオーディションを受けたりスクールにも通うようになり、再び「スタ誕」に挑戦するのは3年後の1974年。決戦大会でプラカードを上げたのはレコード会社3社と芸能プロ5社だった。その中で2人を熱心に口説いたのは音楽プロデューサーの相馬一比古とビクターの飯田久彦だった。

     ミーは決戦大会での相馬について「一番前に座って真っ先に私たちにプラカードを上げてくれた」と語った。相馬は「君たちをアメリカのショービジネスで勝負させてみたい」と夢が膨らんだ。

     ビクターは直前まで、決戦大会で人気がもっとも集中した清水由貴子(14社)をスカウトする予定だった。

     ところが、飯田が「独断で私たちをスカウトしてくれた」(ミー)。

    ■「第2のザ・ピーナッツを」

     ピンク・レディーのデビューは76年だが、その前年にザ・ピーナッツが引退している。飯田はそれが寂しかった。ハーモニーができる新たな女性デュオを探していたところ、「スタ誕」で出会ったのが2人だった。飯田は、5年前に日刊ゲンダイの連載に登場した際、「静岡出身で声質も背丈もザ・ピーナッツとは全然違うけど、2人を育ててみたいと思って」と当時を振り返ったが、会社ではこってり絞られたようだ。

     そして作詞は阿久悠、作曲は都倉俊一、振り付けが土居甫のピンク・レディーのプロジェクトが動き出す。

     当初、デュオの名前は「白い風船」だった。しかし、都倉の発案でカクテルの名前からとった「ピンク・レディー」になる。デビュー曲は阿久や都倉が押す「ペッパー警部」か、それともビクター上層部が押す「乾杯お嬢さん」か。ここでも飯田は会社の反対を押し切ってしまう。

     振り付けも物議を醸す。ピンク・レディーを「非常識な感覚でつくった」という飯田は土居にセクシーなものをお願いした。その結果が、足を左右に開く有名なポーズだが、会社の偉い人が集まる編成会議でやってもらったら、「あれはなんだ、天下の伝統あるビクターでおまえは恥ずかしくないのか」と怒られたという。だが、飯田はこれもはね返してしまった。

     この時、阿久は「総論賛成はダメ、やっぱり賛否両論でないと」と慰めてくれたという。

     こうして誕生した「ペッパー警部」は発売当初は売れず、2曲目の「S・O・S」が大ヒットし、その相乗効果でバカ売れする。ピンク・レディーはこれを機に4年半以上もスター街道を驀進することになる。そんな常識を覆すところからスタートしたピンク・レディー。一体、どこで歯車が狂ってしまったのか。78年の紅白歌合戦の出場辞退や79年のアメリカ進出に対する非難……。

     相馬は「ミーは(アメリカで)2年間でもやる覚悟はできていた。ケイは自分の尺度で考えて」いたと、かつてのインタビューで答えている。

     この時のケイが抱えていたのは結婚だった。世間を賑わせた相手との関係は間もなく終わりを告げたが、「会社から結婚か仕事か選べと迫られて結婚を選びましたが、その選択でミーはもちろん会社の人の人生まで変えてしまった」と語った。

     ピンク・レディーが稼ぎ出したのは500億円ともいわれる。それはバブルのごとく消えたが、それ以上の記憶を日本中に残したのは間違いない。(敬称略)=おわり




    【ピンク・レディーが駆けた4年7カ月 稼いだ500億円は闇へ、衝撃の紅白辞退、全米進出の賭け #ピンク・レディー】の続きを読む


    Snow Man向井“ルッキズム発言”炎上で改めて分かった SMAPと嵐が「国民的アイドル」たるゆえん


    Snow Man向井“ルッキズム発言”炎上で改めて分かった SMAPと嵐が「国民的アイドル」たるゆえん
    …共に炎上しているのは、大人気ジャニーズグループSnow Manの向井康二(28)の発言だ。  Snow ManのYouTubeチャンネルで、7月27日…
    (出典:日刊ゲンダイDIGITAL)


    向井 康二(むかい こうじ、1994年〈平成6年〉6月21日 - )は、日本のタレント、俳優で、男性アイドルグループ・Snow Manのメンバーである。 タイ生まれ、奈良県出身。ジャニーズ事務所所属。 1994年、日本人の父親とタイ人の母親のもとに生まれた。1歳からは奈良県で過ごした。タイで暮らし
    39キロバイト (4,722 語) - 2022年7月16日 (土) 01:39


    《一重は美しくないと突きつけられた気分で一重の私は悲しかった》《生放送も含めてもう何度目の失言でしょうか》《何回、炎上すれば改善されるのか》

    ファンによる落胆の声と共に炎上しているのは、大人気ジャニーズグループSnow Manの向井康二(28)の発言だ。

     Snow ManのYouTubeチャンネルで、7月27日にアップされた「【帰ってきた阿部ちゃん先生】決して大喜利ではございません!!」という動画内で、「邪馬台国の女王・卑弥呼の特技とは?」という問いに対し、「男を寄せないために、卑弥呼さんの特技は、一重にする」とフリップを用いて回答。その発言が、見事に外見に基づく差別や偏見を意味する「ルッキズム発言」と炎上した。

     向井といえば、Snow Manで唯一の関西出身のお笑い担当ということもあり、「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」(フジテレビ系)や、「アイ・アム・冒険少年」(TBS系)にレギュラー出演するなど、バラエティでの活躍も目覚ましいが、失言による炎上も数多い。

    ■「爪痕を残す」よりも大切なこと

     向井は、3月26日放送の「オールスター感謝祭 2022春」(TBS系)でも、事務所の先輩である嵐・二宮和也(39)に対して生放送で失礼な発言をして炎上した。

    「向井さんはバラエティーで頑張っていきたい、少しでも爪痕を残したいという思いが強すぎる結果といえますが、今後も失言による炎上が起これば、Snow Manや教育しないジャニーズ事務所についていけないというファンも中には出てくると思います」(スポーツ紙記者)

     3月の生放送では、二宮がアーチェリーに挑戦するという場面で、「二宮くんはこういうとき多分ですけど、外しそうな気がします」と発言し、炎上。その後、二宮が自身のYouTubeチャンネルの概要欄で、向井をフォローするという異例の火消し対応で事なきを得た。

     しかし度々、失言による炎上が続くと、テレビなどで使いにくいイメージがついてしまう可能性もある。

    「嵐やSMAPなどの国民的アイドルに共通しているのは、爆発的な笑いを提供し爪痕を残すことよりも、『不快に思われる言い回しや言葉を使わないこと』だと思います。長期的に愛されるキャラクターというのは、好かれることよりも、『いかに嫌われない要素を持っているか?』が大切なのかもしれません」(前出のスポーツ紙記者)

     特に向井の場合、笑いを取ろうと共演者だけでなく、ゲストや一般人もいじるため、ハラハラしているファンも少なくない。さらに今回、向井の失言に対し、他メンバーも手を叩いて爆笑するなどしていたため、Snow Manというグループ自体にも炎上の矛先が向いてしまっている。爪痕を残すつもりが、思わぬ傷痕を残してしまった。


    【Snow Man向井“ルッキズム発言”炎上で改めて分かった SMAPと嵐が「国民的アイドル」たるゆえん #向井康二 #Snow Man】の続きを読む


    王林「もう大喜利はしません!」IPPON女子で爆笑連発も ネットは撤回を期待


    王林「もう大喜利はしません!」IPPON女子で爆笑連発も ネットは撤回を期待
     タレントの王林が26日、インスタグラムを更新。「もう大喜利はしません!」と大喜利からの引退宣言をした。25日に放送されたフジテレビ系「まっちゃんね…
    (出典:デイリースポーツ)


    王林(おうりん、1998年〈平成10年〉4月8日 - )は、日本の女性タレント。 青森県を中心に活動しているダンス&ボーカルを主軸とした女性ローカルアイドルグループ、りんご娘に2013年から2022年まで所属、リーダーを務めた後、2022年4月よりソロ活動中。
    25キロバイト (3,158 語) - 2022年6月19日 (日) 05:58


    タレントの王林が26日、インスタグラムを更新。「もう大喜利はしません!」と大喜利からの引退宣言をした。25日に放送されたフジテレビ系「まっちゃんねる」で「IPPON女子グランプリ」に出場し、「膀胱爆大男」などぶっとんだ解答を連発し、爆笑をかっさらっていた。

    王林は長文を投稿。「昨日放送だった『IPPONグランプリ』を見てくれた人たちからうれしいメッセージとかがたくさん届いてて、出演させてもらえてよかったなってすごくうれしい気持ちです」と感謝した。

     続けて「みーんな頑張ってるし、どの職業も素晴らしいと思うけど、王林はずっと芸人という職業へのリスペクトがすごくあって、そんな芸人さん達が本気で笑いをとるあの舞台に自分が座るのは申し訳ないし、王林は笑いをもとめられるのがすごく苦手だから決まってからは毎日毎日気を重くさせてもらってました」と出場が決まってからプレッシャーにさいなまれていたことを明かした。

     「まさか自分が大喜利をあの舞台でさせてもらうとは、青森のみんなへの感謝も浮かんで、感慨深いものでした」とつづったが、「もう大喜利はしません!!」と締めくくった。

     フォロワーからは「最終問題が得意分野なら優勝もあったかもしれません」「大健闘お疲れ様でした!」「めっちゃ面白くて、贔屓目無しにわんちゃんが一番上手だったと思う」と健闘をたたえる声が集まり、「ぜひまた大喜利してほしい」と引退撤回を期待する声も上がっていた。

    【王林「もう大喜利はしません!」IPPON女子で爆笑連発も ネットは撤回を期待 #王林】の続きを読む

    このページのトップヘ